シルクロード絨毯ミニコラム
- 祇園祭りの山鉾にも飾られているシルクロード絨毯
- 絨毯に乗って空を飛んだ王子はインドでその絨毯を手に入れた?
- 出来上がった絨毯はお店に並ぶ前にまず、人に踏んでもらう?
- 豪華絢爛、サザン朝ペルシア帝国伝説の絨毯「ホスローの春」
- ペルシア絨毯は、左右対称に見えて実は非対象です
- 女の子は慈しみ、男の子はほったらかしで育てられる
- ほら吹きマルコが書き遺したシルクロード絨毯の真実
- イスラーム世界の工芸、貴金属を数多く展示した「トプカプ宮殿博物館」
- インド・イスラーム様式の美しさを今に残す街“ラホール(Lahore)”
- 一結びが、およそ5秒の早業で織り上げるシルクロード絨毯
- インド独立後、最初の復興施策として織物を選んだのはガンジー
- 大航海時代、ヨーロッパで脚光を浴びたインド更紗
- 様々な種族が入り乱れる混沌の国-それがインド
- 祇園祭りの山鉾にも飾られているシルクロード絨毯
- 絨毯に乗って空を飛んだ王子はインドでその絨毯を手に入れた?
- 出来上がった絨毯はお店に並ぶ前にまず、人に踏んでもらう?
- 豪華絢爛、サザン朝ペルシア帝国伝説の絨毯「ホスローの春」
- ペルシア絨毯は、左右対称に見えて実は非対象です
- 女の子は慈しみ、男の子はほったらかしで育てられる
- ほら吹きマルコが書き遺したシルクロード絨毯の真実
- イスラーム世界の工芸、貴金属を数多く展示した「トプカプ宮殿博物館」
- インド・イスラーム様式の美しさを今に残す街“ラホール(Lahore)”
- 一結びが、およそ5秒の早業で織り上げるシルクロード絨毯
- インド独立後、最初の復興施策として織物を選んだのはガンジー
- 大航海時代、ヨーロッパで脚光を浴びたインド更紗
- 様々な種族が入り乱れる混沌の国-それがインド
京の夏を彩る祇園祭。その山鉾にも数多くのシルクロード絨毯が使われていることをご存知ですか。
ペルシア絨毯をはじめとして、17~19世紀にかけて伝来した、中国、インド、トルコ、コーカサス地方のものなどさまざまな絨毯が山鉾の掛装として用いられているのです。
なかでも、南観音山や長刀鉾に掛けられているシルクのペルシア絨毯はボロネーズ絨毯と呼ばれ、サファビー朝ペルシア時代に諸外国への贈答品として極めて珍しいものです。貴重な文化遺産として欧米の絨毯研究者の関心を集めています。
ペルシア絨毯の伝承民話をアラビア語で写したものが原本といわれる「アラビアン・ナイト」です。空飛ぶ絨毯の話(アハメッド王子と妖精ペリー・バヌーの物語)が有名ですが、この中で、王子はその絨毯をインドで見つけたとか。3人の王子(アハメッド・フセイン・アリー)が王女ヌールンニハールを妻とするために、その条件となる珍しい贈り物を探しに行き、フセイン王子がインド国内のビスナガル王国で買ったものがこの“空飛ぶ絨毯”といわれています。
ちょっともったいない気がしますが、本当の話。
たとえば、テヘランのバザールなどでは、道いっぱいに広げられた絨毯の上を、通行人が遠慮なくズカズカと踏みつけて歩いています。これは出来上がったばかりの絨毯の織りを馴染ませるためですから、もし旅先でこういったケースに出くわしてもご安心を。
また、同じテヘランやパレス(宮殿)には、床に敷き詰めた形式の絨毯展示室もあります。やはり、絨毯は人の足で踏まれて、ようやく“一人前”といったところでしょうか。
サザン朝ペルシア帝国の最盛期を開いたホスロー一世が、暗い冬の間も貼るの雰囲気を忘れないために作らせたといわれるのが「ホスローの春」。約27m四方の巨大なシルクの絨毯で、金銀の糸で小川や小道、芝や木などが織り込まれ、さらにダイヤモンドやルビー、真珠など宝石が花や果実として飾られた大変豪華なものだったそうです。クテシフォン宮殿の床を彩っていたこの豪華な絨毯は、その後、635年、アラビヤ軍により略奪され、細かく切断した上で分けられたと言われ、そのいくつかの断片がバグダッドのバザールにも姿を見せたと伝えられています。
ペルシア絨毯の柄は、一見、全体が左右対称につくられているように見えます。
しかし、どんな文様であっても決して完全なシンメトリーにつくられてはおらず、必ずどこかが非対象となっているのです。というのも、イスラム世界では “完全な対象” をつくりあげることのできるのは神様だけの業であり、人は決してこれを侵してはならないとされているからです。これは絨毯に限らず、美術や工芸などすべてに見られるイスラームの世界ならではの特色です。
イランに限らず、トルコやアフガニスタン、パキスタンなどでも見られる光景ですが、女の子たちは鮮やかな色彩の、粗末なものながら素材は絹の服を着せられています。赤や黄をちりばめたハッとするような色づかいの服と耳飾り、さらに頭にも絹の布を巻いたその姿は、砂漠に咲いた花のよう。
それにひきかえ、男の子たちは半裸体。裸足や破れた下着を着ていることも珍しくはありません。一見、不公平に思いますが、男として砂漠という厳しい大自然の中で生き抜くためには、子供の頃から自活力をつけさせなければ、という、やはりこれも親の愛情なのでしょう。
世界各国を旅し、さまざまな著書を遺したマルコポーロ。
彼の記述の中にもシルクロードの絨毯の品質の高さを表すものがいくつかあります。例えばあの有名な“The Trabel of Marco Polo”の中に「ペルシアは大きな国で八つの王国がある。そして、都市にはいろいろな絹織物や金細工をつくる多くの工匠がいる」とあり、また13世紀に小アジアを旅した際の紀行文には、アナトリア絨毯のことを「この国(トルコ)では、世界で最も美しい絨毯が作られている」と記述しています。これらの絨毯に関するくだりだけみれば、マルコポーロの話もまんざら嘘ばかりでもなかったと言えるでしょう。
もし、トルコを旅する機会に恵まれたなら、ぜひ見学いただきたいのが「トプカプ宮殿」です。トルコ中心都市イスタンブールにあるこの宮殿は、約400年にわたり、オスマントルコ帝国時代、代々スルタン(皇帝)が住んでいたとされている広大なお城で、現在は博物館として公開されています。
建物や庭の豪華さもさることながら、圧巻は陳列されている貴金属類や工芸品、金銀宝石や細密画、中国製陶器、ガラス器をはじめ、トルコ絨毯も豊富に展示されています。トルコの染色技術が世界的に最も高い水準に達した14~17世紀の見ごたえのある逸品の数々を見ることができます。
パキスタンの他の都市とはひと味違った雰囲気を持つ“ラホール”。
というのもこの街は、かのムガール帝国アクバル時代、首都として数多くのインド・イスラーム様式の建築物で飾られているからです。現在も人口550万人を超えるパンジャブ州の州都として栄え、そのバザールでは、貴金属や細密画(ミニアチュール)、そしてもちろん、シルクロード絨毯も数多く販売されています。
シルクロードの織りのスピードはどのくらいの速さなのでしょう。 通常、一日8時間働くとして、1人約5,000ノットを織り上げるといわれています。つまり一結びがおよそ5秒という速さです。しかし、このスピードで織ったとしても、約3畳サイズのものでおよそ310日間を費やす計算となりますから、いかに絨毯づくりが重労働であるか理解していただけると思います。
※実際には大きさにより複数の織り手によって進められるため、人数によってその日数は短縮されます。また織りのスピードアップも産地、また個人で差が生じます。
200年に及ぶイギリスの植民統治という悲しい歴史を持つ国インド。
その独立のために立ち上がったマハトマ・ガンジーが「他の国に頼らず、武力によらず、自ら手で!」と独立を身をもって示したのが糸紡ぎであったとされています。植民地時代、牢獄の中でも糸を紡ぎ、自らの衣類にあてたと云われる彼。その心は今の時代にも受け継がれ、インド議会・与党国民会議派の旗には、チャクラカと呼ばれる紡ぎ車がシンボルとして用いられています。
友禅染にも大きな影響を与えたとされるインド更紗。
その味わい深いデザインや色づかいが現在でも高い人気を誇っていますが、ヨーロッパの貿易商人が海を行き交いし始めた大航海時代(15世紀~16世紀)と言われています。イギリスはインドとの布取引のために東インド会社を設立。オランダやフランスもこれにならい、インド更紗の人気は一躍高まりました。しかし、イギリスでは、その後の産業革命により織物産業も工業化が進み、本国でインド製品の輸入禁止が法律化、皮肉なことにインドはヨーロッパに機械製品を買わされる立場に陥ります。そしてその後、インドは長く苦しい植民地時代へと入っていくのです。
300万平方キロメートル以上という広大な土地に、およそ11億人といわれる人々が暮らすインド。
言葉ひとつをとってみても公用語だけで16あるといわれ、我々単一民族には理解できない複雑な社会構造を持った国です。その中でも特に有名なのが、カースト制度。カーストが違えば服装が変わってくることはもちろん、食事の場所なども別々になっており、その規律が乱されることは絶対にありません。このカースト制度は職業にもあり、仕事は当然世襲制。絨毯や更紗を織る職工の家でも、その技術と心は親から子、さらに孫へと伝えられます。世代を超えて繰り返される手仕事の世界。私たちがインドの織物に魅せられるのは、もしかするとその背後にそんな悠久の時を感じているからかもしれません。
インドの歴代スルタン (現在のインド、パキスタン、バングラディシュ) |
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バーブル | (1526年~1530年) |
フマーユーン | (1530年~1540年、復位:1555年~1556年) |
アクバル | (1556年~1605年) |
ジャハーン・ギール | (1605年~1627年) |
シャー・ジャハーン1世 | (1628年~1658年) |
アウラングゼーブ・アーラムギル | (1658年~1707年) |
バハードゥル・シャー1世 | (1707年~1712年) |
ジャハーンダール・シャー | (1712年~1713年) |
ファッルフシヤル | (1713年~1719年) |
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